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アジアとの太いパイプで未来の人材を育成するSAFCA

SAFCAの歩みhistory

公益財団法人 東南アジア文化友好協会は、アジアの人づくりを目指しています。

昭和43年〜

  
年号 出来事
昭和43年3月
(1968年)
国賓として来日中のインドネシア・スハルト大統領夫人、当財団を訪問。寮生や関係者らを激励。
昭和44年3月
(1969年)
ジャカルタの公邸にスハルト大統領夫妻を加藤先生が訪問、歓談。インドネシア・セラム島のジャングルで生活していた残留日本兵・小松原一市氏(島根県出身)の救出運動を展開。4月、長女のハヤティが入寮。昭和45年6月、小松原一家、27年ぶりに島根に帰郷、その後、日本に永住。
昭和44年10月 日本の父親に会いたい一念で、不法入国してきたN君、財団を訪ねる。彼は戦争混血児ゆえの無国籍者であった。昭和45年9月、NHKは「現代の映像無国籍者」としてN君を取り上げ30分のドキュメント番組を全国に放映。戦争混血児の存在や彼らが抱える問題を提起。全国的な反響を呼ぶ。
昭和45年7月
(1970年)
シンガポール、インドネシア他に当財団関係の青年7名を旭光丸にて友好親善の使節として派遣。
昭和46年2月
(1971年)
セレベス出身のウィリー藤原君、まぶたの父探しと、自動車技術研修のため入寮。毎日新聞社などの尽力で、京都に住む父親と5月に対面。
昭和47年2月
(1972年)
「財団法人東南アジア文化友好協会」労働省より共管同意。技術研修生の受け入れ体制確立
昭和47年5月 NHK「ここに生きる27年目の賠償」に加藤先生が出演。当財団の事業と理念を全国的に紹介
昭和47年6月 第一回使節団を東南アジアとの友好親善を図る為インドネシア、シンガポール、フィリピンに派遣。その後現在に至るまで東南アジア各国・韓国へ友好使節団を派遣。
昭和47年8月 韓国からの技術研修生の受け入れ開始。
昭和47年9月 当財団留学生の第一号生のサッチェネガラ君、13年の日本での留学を終え、東大から医学博士号授与、インドネシアへ帰国。その後、スハルト大統領の侍医となる
昭和48年6月
(1973年)
「高山右近の銅像を中心とした記念庭園」をマニラ市旧日本人居留跡地に建設することをマニラ市婦人美化委員会、バガチン・マニラ市長他の要請で企画。外務省、高槻市の協力のもと募金活動を開始。

公益財団法人
 東南アジア文化友好協会

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