公益財団法人 東南アジア文化友好協会は、アジアの人づくりを目指しています。
年号 | 出来事 |
---|---|
昭和55年7月 (1980年) |
メナドで開催された「全インドネシア教会会議」に加藤先生が招待を受け出席、帰途アダムマリク副大統領とアジアの平和問題について懇談する。 |
昭和56年2月 (1981年) |
「シンガポールか今日虐殺事件」の第14回慰霊祭に、当財団を代表して中島正人評議員、今沢栄三郎事務局長、五明純昭氏が参列。怨念の塔に花輪を捧げ謝罪する。 |
昭和56年2月 | 当財団の「償いの業」と「比日友好公園と高山右近モニュメント建設」を来日中のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に評価され、加藤先生は教皇庁大使館聖堂にて謁見を受ける。 |
昭和56年4月 | 中国・上海から留学生(女子)をはじめて迎える。中華民国から2名の留学生(女子)を迎える |
昭和56年6月 | 「財団創立十五周年・加藤先生の古希祝賀会」を目黒雅叙園にて開催。 |
昭和56年9月 | 9月20日、財団発足以来の理事長、石井光次郎先生、ご永眠。 |
昭和56年10月 | 東南アジア学生寮、一部修築。 |
昭和57年2月 (1982年) |
シンガポール華僑虐殺15周年慰霊祭に加藤先生が参列。メダン地区アサハン・プロジェクトを視察並びにジャカルタを訪問、寮生出身者達を激励。 |
昭和57年3月 | 理事長に加藤亮一先生、常務理事に坂部康正氏が就任。 |
昭和57年5月 | 橋谷奨学会より、在寮生の中から3名に毎月5万円が授与される。以後5名に授与される |
昭和57年9月 | インドネシア石油教育財団より4名の留学生の委託を受ける。 |
昭和58年10月 | 第二回東南アジア文化講演会を開催。総山孝雄博士、「東南アジア住民の戦争への反応と将来」と題して講演。 |
昭和59年2月 (1984年) |
当財団20周年にあたり「償いの業」をさらに拡充して「アジアの人づくり」を活動理念とした「新事業計画」を発表。「試験研究法人等の証明書(免税)」を文部省より受け、東南アジア学生寮の増改築と財団奨学金制度の確立のため、「3億円募金」を開始。 |
昭和59年4月 | 当財団インドネシア支部長に1月にご永眠されたルマンビー氏の後任として、コロピタ・ルマンビー氏が就任。 |
昭和59年6月 | 当財団関西支部を設立。支部長に湯川宏氏(衆議院議員)が就任。従来の久留米支部、会津若松支部とともに活発な運動に入った。 |
昭和59年9月 | 当財団設立当初よりご指導いただいていたマダム・マリク前インドネシア副大統領ご永眠。 |
昭和59年10月 | アンボンで開催された「全インドネシア・キリスト教大会」に加藤先生が招待され、出席。 |
〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台2−1−19 アルベルゴお茶の水1012号
TEL 03(3296)0192