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アジアとの太いパイプで、未来の人材を育成するSAFCA

SAFCAの歩みhistory

公益財団法人 東南アジア文化友好協会は、アジアの人づくりを目指しています。

昭和60年〜

年号 出来事
昭和60年3月
(1985年)
当財団創立20周年記念式典と祝賀パーティーを新宿のホテルセンチュリーハイアットにて開催。
昭和60年7月 当財団福島県支部を設立。支部長に辻義人氏(前福島医大学長)が就任。同支部は(福島国際交流センター)を併設。15名収容の寄宿舎地を持ち4名のアジア・アフリカの青年を迎える。当財団専務理事に坂部康正氏が就任。「シンガポール華僑虐殺事件」を記録した、「謀殺の航跡」を中島正人評議員が講談社から出版。7月12日、池袋メトロポリタンホテルで出版記念会と「戦争と日本人について考える」と題する京都精華大学教授日高六郎氏の文化講演会を開催。
昭和60年11月 「勲四等瑞宝章」を外務省のご推挙により加藤先生授かる。
昭和61年7月
(1986年)
留学生問題を含め「償いの業」が朝日新聞夕刊「こころ」の欄に紹介。日本をはじめ海外にまで反響を呼ぶ。8月15日にこれをTV朝日が放映。
昭和62年3月
(1987年)
故若王子信行氏救出に、加藤先生と比国カトリック教会最高指導者シン枢機卿と支援。
昭和63年2月
(1988年)
第三回目の「試験研究法人等の証明書(免税)」が文部省から交付
平成元年5月
(1989年)
ホセフィーノS・ラミレス・マニラ大司教を日本に招待。
平成元年6月 「留学生里親制度委員会」を現下の困難な留学生問題の対策として設置。
平成元年9月 「シン枢機卿を日本に招聘する会」の会長に加藤先生がなり、9月1日から12月まで同枢機卿を招待。
平成元年12月 「卒寮生組織」を元財団卒業生がインドネシア、ジャカルタにおいてスジョノ氏、サッチャネガラ氏、エディ氏らが中心となり発足。
平成2年8月
(1990年)
日本語教師として山本恵子女史をインドネシアに派遣。
平成2年11月 会長に加藤亮一、理事長に小山一平、専務理事に大野克美が就任。
平成3年1月
(1991年)
アメリカの大統領朝祷会に加藤先生、大野克美専務理事が招待される。
平成3年2月 理事長に小山一平が就任。

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