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アジアの太いパイプで、未来の人材を育成するSAFCA

SAFCAの歩みhistory

公益財団法人 東南アジア文化友好協会は、アジアの人づくりを目指しています。

創立者加藤亮一先生、永眠

平成3年12月25日加藤亮一先生永眠。

インドネシアに分骨された加藤先生の墓石
には、生前の加藤先生の口癖、「頭になろ
うと思う者は下僕となれ」が刻まれている







平成3年〜

年号 出来事
平成4年6月
(1992年)
「アジアの留学生・研修生のためのフォーラム」津田ホールにて開催。NHK、テレビその他のメディアに放映され、大きな反響を得る。
平成5年7月
(1993年)
フィリピンセクション新宿事務所を屋良朝彦、長谷川孝司両氏が中心となり開設
平成5年8月 タガログ語教室をフィリピンをより理解するための一環として阿部誠士、谷内公男両氏が中心となり新宿事務所に開設。
平成5年9月 フィリピン共和国に大野克美専務理事を団長とし友好使節団を派遣。サルバドールH・ラウレル前副大統領を代表とするフィリピン側と日比友好会談。ギマラス州支援のために視察。平成2年(1990年)大地震に見舞われたバギオを安間公博、阿部誠士グループが視察し、地元ルクバン小学校支援。
平成5年10月 マニラ連絡事務所を開設。日比友好増進とギマラス州支援の窓口となる。
平成5年12月 フィリピン関係の相談窓口開設。朝日新聞、読売新聞、産経新聞等の広報により結婚・就学・研修・就労・進出に関わる相談殺到。当財団本部事務所が池袋よりお茶の水に移転。
平成6年1月
(1994年)
無料の日本語教室を在日フィリピン人支援と友好増進の一環とし、屋良カメリータ女史の奮闘により新宿事務所に開設。多数の在日フィリピン大使館員の参加とボランティア日本語講師の協力を得る。ボランティア日本語講師のための「初級日本語の教え方」講座を開催。
平成6年2月 フィリピン共和国ギマラス州政府の要請に基づき、州政府嘱託日本語講師として山中忠雄先生を派遣。
平成6年4月 フィリピン共和国ギマラス州に小山一平理事長を団長とし、支援視察団を派遣。山中忠雄先生の現地ボランティア活動を視察。当財団運営「ギマラス州技術運営センター」建設準備調査。
平成6年5月 フィリピン共和国ギマラス州政府の要請に基づき、州政府嘱託日本語講師として辰正子先生(夫同伴)を派遣。
平成6年6月 「ギマラス州技術研修センター」建設に郵政省貯金局国際ボランティア貯金の配分を受ける。

公益財団法人
 東南アジア文化友好協会

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