本文へスキップ

アジアとの太いパイプで、未来の人材を育成するSAFCA

SAFCAの歩みhistory

公益財団法人 東南アジア文化友好協会は、アジアの人づくりを目指しています。

平成6年〜

年号 出来事
平成6年10月 ホセフィーノS・ラミレス・マニラ大司教来日。「日比友好とボランティア活動について」会談。マニラにボランティア日本語講師として河原祥次・相馬明男両先生を派遣。フィリピン共和国ギマラス州に支援視察団を派遣。屋良朝彦評議員・安間公洋幹事・永井徹理事・他2名参加。「ギマラス州技術研修センター」建設中間視察。山中忠雄、辰正子両先生のボランティア活動を視察。安間公洋幹事、現地子供たちへの里親支援。「東船橋留学生寮」開設。
平成6年11月 「フィリピンについての勉強会」学士会館にて開催。講師は株式会社力王 会長岡安徳一氏。マニラにボランティア日本語講師として岩田尚久先生を派遣。読売新聞にて「フィリピン共和国派遣ボランティア日本語講師募集」を取り上げられる。大学4年生や若い社会人女性からの応募殺到。
平成6年12月 クリスマス感謝パーティーにて小山一平理事長が「東南アジア文化友好賞」をウィリアム・リース氏(長野県御代田氏において無国籍孤児を養育)に授与。小山一平理事長が財団活動に著しく貢献した次のボランティアを表彰。辰正子先生(比国ギマラス州政府嘱託日本語講師として半年間派遣)。安間公洋幹事(里親制度を発展)。種田美由紀・恵木貴子・塚本眞理恵・森島正子 各先生(在日フィリピン人支援の日本語教室で講師として活躍中)。
平成7年1月
(1995年)
1月13日、フィリピン研究会開催。マニラにボランティア日本語講師助手として派遣されていた相馬明男先生の活動報告。以後毎週水曜日夜7時から8時半まで開催。1月17日の阪神大震災(兵庫県南部地震)により現地で被災された「東南アジアからの方々」に対する救援募金を呼びかける。このたびの震災は激甚災害であり、その救援活動は全体的なことで精一杯であり、同じく被災した外国人の為に向けられた救援は、残念ながら誠に少ないものでした。この時の救援金は東南アジア各国大使館、総領事館を通じて救援に使わせて頂きました。
平成7年7月 フィリピンの耳の不自由な子供たちのための「コンピュータ情報処理技術研修施設の建設と技術指導の実施」の事業のため、協力募金のお願いに当財団は全面的に協力をし、財団として募金活動を行う。
平成7年10月 10月2日、神戸で被災した東南アジアの学生36名(インドネシア8名、マレーシア6名、ミャンマー3名、中国14名、韓国4名、スリランカ1名)に、かねて募金した見舞金の贈呈式を行った。財団の「顔の見える」援助の趣旨により小山理事長より一人一人に直接手渡された。10月18日、東京神田郵便局大会議室にて千代田コミュニティー・クラブ月例会が開かれ、「戦後50年のボランティア活動」と題して小山理事長が講演。この会は、千代田区の一流会社と郵便局の懇親を図る目的で開かれ、約50名が出席。郵政省で国際ボランティア貯金を行っていることから、その活動報告として当財団が選ばれたものです。
平成8年(1996年) インドネシア有数の実業家にしてキリスト教の信徒指導者の一人としても活躍されたA・ブラム・トマソア氏が9月に地上の生涯を終えて天国へと凱旋されました。同氏は、約50万人いるその殆どがキリスト教徒であると言われるトラジャ族のブンツリオン地区の名門ポンポロン家11世大首長でした。当財団の良き理解者として協力を惜しまなかったトマソア氏、同氏は第二次大戦中、当財団の創立者・加藤亮一と信仰の交わりを持ち、戦後もインドネシア交流の架け橋となられました。トマソア氏のご子息フランソア・トマソア氏から「アジアの光を消さないで」という故人の遺志が伝えられ、当財団への協力と交流を今後も続けていきたいとの申し入れを受けました。インドネシアと日本の交流のために常に心を砕き、ご尽力されたトマソア氏の葬儀が10月19日行われました。

公益財団法人
 東南アジア文化友好協会

〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台2−1−19 アルベルゴお茶の水1012号

TEL 03(3296)0192