本文へスキップ

アジアとの太いパイプで未来の人材を育成するSAFCA

活動報告report

見出し

第99号
日本での留学生活 プッサワット・エナリン(ラオス)
第98号
留学生活と異文化コミュニュケーション ディマス・グミラン・プラウイト・プトロ(インドネシア)
第97号
人が育つ、国が発展する オイドブスレン・ツェツェガラバ(モンゴル)
第95号
日本の生活 ウィスダ・ウランダリ・ナピトゥプル(インドネシア)
第95号
日本での生活、文化が違うとどんな感じを持つのか?  エルナ(インドネシア)
第94号
日本での留学生活 チア・ポーレン(カンボジア)
第93号
日本での留学生活 メイタ・ルンバヤン(インドネシア)
第93号
日本での留学生活 ショボン・エムディー・タンビール・ハサン (バングラデシュ)

第99号 日本での留学生活

プッサワット・エナリン(ラオス)
拓殖大学大学院 国際関係論2年

(2015年7月1日 機関紙 アジアの光)より
 私の吊前はプッサワット・エナリンと申します。私はラオス人で、首都のビエンチャン出身です。日本に留学する前はラオスの通信会社で勤務しており、日本には出張で2度来たことがあります。ある日、私の仕事場の同僚から日本留学を薦められ、最初はどうしようかと迷いました。しかしその人が親切でかつ楽天的な、常に人生にトライする、挑戦する人でしたので、ビエンチャンにある日本大使館の留学生奨学金プログラムに申し込み、結果日本に留学できるチャンスを得ることが出来ました。正直、留学生奨学金プログラムにパスするとは思っていなかったため、とても驚きましたが、この時から私の日本での留学生活が始まったのでした。私にとって幸運だったのは何月に日本に来るか、私が選択することが出来ることでした。そのため私は2012年4月を選ぶことにしました。というのも4月は桜の花が満開の時期であるため、一番良い季節であり、私の人生をリフレッシュする良い時でした。
 私は早稲田大学大学院MBAコース2年間の大学院生として勉強を始めました。多くのことを学び、いかに多くの国や民族がいて、多くの様々な知識を得ることが出来ました。卒業後の3年目は拓殖大学修士課程の国際関係論を選考しました。今のところ、卒業論文の提出期限は2016年1月なのですが、6か月早めて「経済再生のための2008年~2011年のラオスにおける一地域の一事業の先行プロジェクト《を書き終え、残りの期間にもっと様々な興味深い経験を積むことにしました。
 外国人留学生として日本で暮らすことは楽しさを感じると共に大変でもあります。楽しいことと言えば、私は旅行が好きで、日本の様々な場所へ行くことができました(沖縄、広島、神戸、大阪、奈良、京都、三重、吊古屋、新潟、長野、群馬、福島、北海道など)。日本は様々な歴史的、伝統的、文化的なものを現代の最新テクノロジーに導入し、日常生活の中に組み込んでいます。現代の技術とその国の文化を同時に結合させることができる。日本は夢のような国で、様々な創造的なアイデアと日本人がそれを行っていることを学ぶことが出来ました。
 その反面、留学生活で大変なことと言えば、物価が高いことと日本語が難しいことです。私は日本語があまり上手ではないため、特に高齢者の日本人と難しい会話をする時は日本語と英語を取り混ぜて、時には身振り手振りで会話をします。また、日本の物価は高く、いつも緊縮財政での生活を強いられています。しかしながら、東南アジア文化友好協会の留学生寮で生活することができ、またそこに住む他の国の気さくで楽しい留学生の友人達と交流する良い機会を持つことが出来ました。とりわけ、寮の管理をしてくれる和気さんはとても親切で様々な世話をしてくれ、留学生寮での生活を送る上でとても助かるため、和気さんと知り合えて全てに感謝しています。
 大学院での修士課程の修了後、私はラオスに戻り、これまでの知識や技能を使ってラオスの発展に貢献し、これからの生活やビジネスに役立ててゆきたいと思っています。将来はビジネス・ウーマンとして成功し、またラオスの民間NGOの仕事に取り組んで行きたいと思っています。
 全てにおいて、日本での生活は素晴らしいものであり、とても幸せでした。私は日本を第二の故郷と思っています。というのもこの留学生活で様々なことを学び責任ある大人として成長でき、精神的に独立できたからです。私は日本での様々な経験、思い出、友人達をいつまでも忘れないでしょう。
見出しへ

第98号 留学生活と異文化コミュニュケーション

ディマス・グミラン・プラウイト・プトロ(インドネシア)
亜細亜大学 国際関係学部国際関係学科4年

(2014年12月1日 機関紙 アジアの光)より
 私はインドネシアの首都ジャカルタの端っこにある町で生まれたディマス・グミラン・プラウイト・プテラと申します。そこで18年間暮らしました。子供の頃は海外で滞在するまたは海外で留学するという夢はまったくなかったが、高校を卒業した後、いきなり親から海外留学に行ってくださいというチャンスを与えてくれた。当時はイギリスかオーストラリアに留学しに行くことを考えていたが、ある日、ドラえもんというアニメを見たら「あっ、日本でもいいじゃないか《と思うようになった。その後、日本についてさまざまな情報収集をして、さらに日本へ留学しに行くという気持ちが増して日本へ留学することにした。その時一番強かった理由は日本で留学したら、英語だけではなく日本語を学ぶことができることからだった。
 最初は日本語だけを2年間勉強をして、その後インドネシアに戻り、日本と関わるビジネスをやろうと思っていた。しかし、実際日本語を勉強し始めたら日本語は難しくて2年間だけ勉強するだけでは日本人の小学生レベルの会話しか話せないと気づいた。つまりビジネスでは使えないということが気づいてさらに日本の大学に進学することにした。
 神戸YMCA日本語学科で2年間日本語を勉強して、卒業後に上京することにした。受験した4つの大学の中3つの大学が受かったがほとんどは関西にある大学だった。東京に行きたくて、進学先は亜細亜大学に決めた。現在は亜細亜大学の国際関係学部で国際法学を中心に勉強している。日本の大学に入学した後、日本語学校でなかなか作れない日本人の友達が増えて、日本語や日本の文化、日本の習慣などがより分かるようになって、そこで日本でのやりがいをやっと見つけた。国際関係学部でさまざまな国の文化を基礎として学んだ上、それぞれの国に関わっている国際条約や国際法について勉強をしている。これらのことを学んだ上で、自分の立場はインドネシア人であることだけではなく、自分は国際社会に出ているインドネシアの代表であることが分かった。そのため、留学中にはさまざまの出身の留学生の文化や考え方などを理解しながら、インドネシアの文化などを紹介する、つまりお互いに異文化コミュニケーションをとることが好きである。
 大学での生活以外に、普段やることは趣味やアルバイトをしている。私の趣味は動画撮影とデザイン編集することである。それぞれのテーマで自分のカメラで撮影し、撮った動画を編集している。私は私費留学生なので生活費と一部の学費を稼ぐ為にアルバイトをしている。さまざまなアルバイトを経験したことがあるが、今は都内にある学生向けの就職活動を支援する会社で事務の仕事をやっている。仕事はかなり大変だが、大変日本語の勉強になり、将来就職のために良い経験だと思っている。現在私は東南アジア文化友好協会の久米川寮の寮生である。寮には寮父さんと6人の留学生と一緒に暮らしている。それぞれは個別部屋になっているが、月に2回ティータイムをしながらミーティングを行っている。その時はそれぞれの話をシェアしたり寮の予定を企画したりする時間である。久米川寮は大変良い場所である。
 将来私がやりたいことは、どんな仕事でも今まで自分の経験を生かしながら仕事したいと思っている。具体的には今日本で留学をし、国際社会人であることを意思する。そこで今まで経験や体験、体感したことを役に立ちたいと思っている。日本滞在歴は今年6年になって、今まで私が思ったことは。日本は私の学校であり、日本の社会は私の先生であり、日本の文化は学ばなければいけない科目であること、また、毎日を経験した出来事は私の課題であることと思っている。これからも卒業後インドネシアに帰国しても、今まで運んで来た繋がりをずっと大切にしたいと思っている。
 ネルソン・マンデラ氏の1つの美しい言葉がある。「あなたは、その人の第2言語と話すと、あなたはその人の脳と話している。しかし、あなたはその人の母国語と話すと、あなたはその人の心と話すのだ《。これを読んだら、私は日本人と会話できて、その時日本に留学することを決意したのは、本当に正しい決意だったと思っている。
見出しへ

第97号 人が育つ、国が発展する

オイドブスレン・ツェツェガラバ(モンゴル)
元留学生OB

(2014年7月1日(4) 機関紙 アジアの光)より
私が日本という国に出会い、日本について知ったきっかけは、小さい頃に日本のドラマ「おしん《を見たことでした。そのような日本のイメージを大きく変えてくれたのは、高校生のとき留学受験勉強に励んでいたモンゴル・日本人材開発センターでした。お陰様で、日本に留学でき、忘れられない出会いや大変貴重な経験させていただき見える世界が広がりました。その経験を通して、これからのモンゴルを支える多くの人々を応援する仕事をしたいという夢を胸に抱えて帰国しました。

そして、私はモンゴルの国づくり、人材育成に貢献し、日本人とモンゴル人の交流・関係をより一層深めるために、モンゴルと日本との心の架け橋になりたいと思い、仕事先を探しました。今は、日本との様々な交流の拠点であり、モンゴルの市場経済化促進に貢献する人材育成にも大きな役目を果たしているモンゴル・日本人材開発センターで働いています。

モンゴルは、かつて計画経済を指向し、現在は市場経済への移行を果たしつつあります。これからのモンゴルでは、政府の法律や制度が変わっても、人々が市場経済のルールを知り、ビジネスの現場で実践していけることが重要です。そのため、日本が得意とする経営ノウハウ・知識・技術を参考に、ビジネス業界のニーズや社会的背景を考慮しながら、必要とされる知識と技術を人材育成に反映させ、継続的に見直していくことが上可欠です。

他方、日本に留学していたときは、日本の人々に母国モンゴルの文化・社会・伝統行事を紹介する場が多くありました。ある小学校で、自分で調べて作ったモンゴルの伝統的な家ゲルの模型を紹介しているうちに、大草原の中を一年中季節に合わせて移動して暮らしてきたモンゴル人の知恵や文化の素晴らしさに改めて感動しました。モンゴルから離れたからこそモンゴルの伝統、モンゴル人のアイデンティティはどのようなものかについて気づかされたのです。現代のモンゴル人は文化から遠く離れています。自分たちが忘れかけている文化・歴史を振り返り、モンゴル人の特性を生かした発展へと進むべきだと考えます。

モンゴルの将来を背負って行く技術者・経営者たちは、ビジネス事業の拡大・発展に必要な情報や知識を求めていますが、長期間でさらに競争力のある安定した経営を維持するには、モンゴル人の特性を生かした発展へ進むべきです。私が目指しているのは、人間を基にした国づくりです。国づくりが人間をベースにしているということ、あるいは、文化をベースにして成り立っているということをきちんと意味づけた上で人々の育成をしたいと考えます。そこで、私はモンゴルの文化、社会、モンゴル人の考え方に適応する国際的に認められる人材育成に携わっていきます。

私は、モンゴル人の知恵を生み出し、眠っている能力を発揮させるような環境を整えることを日本での経験を活かして支援し、さらに貢献していきたいと思います。

見出しへ

第95号 日本の生活

ウィスダ・ウランダリ・ナピトゥプル(インドネシア)
西武文理大学サービス経営学部サービス経営学科3年

(2013年7月1日 機関紙 アジアの光より)
 私が日本に来て、もう5年目になります。日本に来る前にテレビや雑誌などで日本のことを少し知っていました。日本はすごく経済的に豊かで、民主的な先進国です。日本人は非常に礼儀正しく、仕事はハードワークで非常に厳しいなど、様々なイメージを持っていました。なぜこんな小さい日本がこんなに裕福で科学技術がこんなに先進なのだろうかと思って日本に来ました。

初めて日本に来た時、一番最初に日本領土を踏んだのは成田空港です。広くて、本当に清潔で、係員は丁寧に仕事をしていて、いろいろな国の人達を見ました。
その時の私はすごく興奮していました。これから、自分もこの国に生きることになるとは信じられなくて、その時の気持ちは言葉で言い表わせません。 いろいろな理想のイメージが頭に浮んでいました。

でも現実はいつも想像より厳しいものです。日本に来たばかりで私は日常会話も話せないし、様々な問題が次から次へと出てきました。特に日本の物価が高いことは世界でも有吊なので、アルバイトもしないと日本で生きることはできません。しかし、日本人の友人から「日本に来てから、どんな方面でも、頑張りなさい。日本人に負けるな!もう一つ、あなたをバカにする者は絶対に許してはいけません・・・。《と言われ、これを聞いて、本当に心が暖まる感じました。そして、「自分は頑張らなきゃ《と思いました。

インドネシアと日本はもちろん違う文化です。しかし、私はインドネシアの文化そのものではないし、私が目にしたものや出会う人々も必ずしも日本の文化そのものだとは言えません。結局、母国の文化に比べながら日本社会を定義しようとしたり、判断しようとすることは自分の価値観や経験の投影であり、事実そのものを捉えることではない。私は異文化や社会は乗り越えることではなくて受け入れることであり、勉強を通じて考察することが大事だと信じています。それこそが留学生である私の使命だと思います。

最初の千駄ヶ谷日本語学校での2年間に勉強は本当に辛かったです。頭が痛くなるほど、毎日毎日繰り返して、文法とか文字とかを勉強しました。そして、時間の流れに従って日本語レベルがだんだん高くなってきて、日本語を勉強する本当の意味を感じました。日本語学校卒業した後、東京商科・法科学院専門学校に入って、授業が本格的に始まりました。しかし、授業の内容が半分しか聞き取れない先生もいました。授業に出た専門用語以外の言葉、ただの日常レベルぐらいの会話さえもあまり聞き取れないので、とても、ショックを受けました。それどころか、もっとショックを受けたのはその後のことでした。ある日、一緒に同じ留学生の友達と学校の近くにお昼ご飯を食べに歩いたところ、日本人のクラスメートに会って、一緒に食べました。たくさん話して、だんだん話が変わってしまって、話もだんだん分からなくなりました。思いがけないことにはどれほど一生懸命に聞いても、日本人のクラスメートの話が殆ど聞き取れなかった。方言も一つの原因でもあるのでしょうけれども、やはり自分の勉強上足を今回のことで実感した。結局、気分は負け犬のように、アパートに帰ってきたのでした。

そういうことで、それから、授業にちゃんと出て、先生の話をしっかり聞きました。専門学校では部活が無くて、東京大学で勉強してるインドネシア人の友達に紹介してもらった東京大学で興味があったサークルに入りました。手話サークルです。1年間ぐらい学びました。本当に難しかったですが、楽しかったです。やはり、学校の勉強だけではなくて、サークルも大事だと思っています。専門学校を卒業して、まだまだ日本語が足りなくて、大学まで勉強したいと思います。学業を続けたい気持ちが強くなりました。

今、大学3年生に編入して、また大学でダンス部に入りました。学校から近いし、東南アジア文化友好協会の久米川寮に入りました。すごい良かったと思います。初めて寮に入って、毎月2回、同じ寮の留学生達とミーティングをやっています。それだけではなくて、ちょうど3週間前に同じ寮のみんなで寮の庭の中で草むしりをしました。もちろん、寮の庭が美しい見えるのでしたら、みんなのためですから、すごく肯定的なことです。

日本に来た時の元気と意欲、 将来へのあこがれを胸いっぱいに抱いていた気持ちは毎日の忙しさですぐになくなり、今では勉強とアルバイトと部活を一生懸命にやっています。生活が安定してみんなは十分に満足しています。

しかし、月日の経つうちに私は毎日ロボットのような授業やバイトが終わった後に、はっきり分からないストレスがどこかに隠されているような感じがしました。時々上安になりました。家に帰って、 一人で畳に座ってテレビを見ようとしている時、番組が多種多様であるけれども、私は精彩を放っている世界に全然入れませんでした。私は呆然としていました。 人間は何のために生き続けるだろうか?自分は何のために生きているだろうかなどの疑問が私の胸にわいてきました。私は日本に来て、 将来の見通しが立たず、日が経つにつれて、むなしい気持ちはますます強くなっていました。物質的な豊かさは精神的な空虚さを満たすことはできないと思いました。

毎週、寝る前に電話で父と話をしました。父には学校であったことや日本の学校や生活など話してくれました。習慣の違いや言葉が通じないことから、 行き違いがいっぱい起こりました。時々一人で笑っているうちに眠りにつきました。

私はもっと勉強したいと思いました。知識は精神的な空虚を満たすことができると思います。でも日本にいる短い間に、自分の力で生きることも学びました。これは私の一番の収穫です。自分が選んだ道は間違いないと信じています。これから先の道はまだ長いですが、 頑張って行きます。

見出しへ

第95号 日本での生活、文化が違うとどんな感じを持つのか?

エルナ(インドネシア)
東京工学院専門学校アニメーション科

(2013年7月1日 機関紙 アジアの光)より
 漫画が大好きな私は初めて日本に来て、幸せな感じでした。その時はまだまだ日本語が話せなかったけれど、上安は少しも感じなかった。新しい家や、新しい友達や、新しい生活が始まると、私にとって、よみがえる気持ちになった。文化が違うので、驚いたこともたくさんあった。一つの例として、誰かに物をあげる時、日本人は左手で渡すけれど、自分の国で、もし左手で物を渡すと失礼なことです。私はこの習慣を見習うべきかを迷い、たまに右手で物を持ってるときに、左手で物を渡すことになり、日本はインドネシアではないから、まあいいや、と思うようになった。
 日本の技術も素晴らしいと思う。日本の電車と新幹線をよく観察すると、やはり、日本の技術は世界で一番だと思ってる。技術と言えば、日本に来たばかりの時、一番驚いたことは、日本のトイレです。何のためにこのボタンがあるのかという疑問が生じた。便利すぎて、自分の国でも、こういうふうなトイレを持ってれば、いいなと思う。また、日本人の性格も様々あるけれど、ほぼ皆は真面目で、特に仕事のことは働き者と言えると思う。夜中に帰ってくるサラリ?マンをたくさん見て、大変な仕事かもしれない。自分の国ではサラリ?マンより、店を持ってる人とか、店員とか、屋台で販売してる人とか、夜中まで仕事する人ほうが多い。会社と違い、会社はちゃんと帰る時間になったら、普通に帰る。たぶん残業するサラリ?マンもいるかもしれないけど、夜になってから、あんまりサラリ?マンの姿を見ないです。
 最初に日本に来た時は日本の文化にすぐ慣れると思ったけれども、その時は日本人の友達はまだ持ってなかったから、自分が自分で自由にやることのほうが多いので、異文化ということはあんまり感じてなかった。しかし、日本人の友達を持ったら、文化が違うということははっきり分かるようになった。日本語は壁になる時もあった。その時は外国人として私は、大目に見て欲しいと思った。この時に自分は「もう日本人になっている《と感じた。
 私は日本にいる間、いろいろな経験を積みたいです。今、アルバイトでも、学校でも、集会でも、たくさんよい経験をもらった。人生に向けて私は日本からインドネシアに何か新しいことを持って帰れることをよく考えて、日本でちゃんと自分の習っていた専門を生かして、インドネシアの役に立つように頑張りたいと思う。

見出しへ

第94号 日本での留学生活

チア・ポーレン(カンボジア)
一橋大学大学院経済研究科専修コース修士1年

(2012年12月1日 機関紙 アジアの光)より
 私はカンボジアから来たチア・ポーレンと申します。2009年4月に来日し、3年半間経ちました。日本に来たばかりの時、何も分からなくて、日本語のコミュニケーションも大変でした。日本へ来る前、日本語は少し習得してきましたが、日本の環境に慣れていないせいか、いつもホームシックになっていました。日本の最初の一年間は北新宿にある東京日本語教育センターで日本語を勉強していました。そこでは色々な国の留学生が多く、特に東南アジア留学生の友達ができて、どんどん楽しく過ごせるようになりました。そして、日本の国立大学で有吊とされる一橋大学へ修士課程に進学することができて、自分の誇りに思っています。日本へ来たのは海外初めての経験でしたが、非常に貴重な機会だと思います。日本へ留学することによって、考え方や視野が広くなり、物事を色々な角度から考えるようになりました。また、専門の勉強だけではなく、幅広く日本の社会、文化、芸能なども興味を持ち、出来るだけその文化を体験したり、現場を見て、勉強したりしています。今は日本のことが大好きで、日本人の考え方や、暮らし方、習慣などが独特で、もっと発見したいと思いました。
 日本では、健康、安心、安全を考えることがあり、本当に重要だと思います。また、日本人の礼儀も、見習いたいと思います。どこに行っても、「すみません《「ありがとうございます《という言葉をよく耳にするので心がとても温かく感じます。さらに、多くの耐震施設、自動販売機等、人に対するサービスがよくて生活が便利で、暮らしやすいと思います。
 私は今、東南アジア文化友好協会久米川寮で住んでいます。久米川周辺はとてもにぎやかで、買い物やレストランなどに困らない場所で、快適に暮らすことが出来ます。また、他の寮生と定期的に会って、お茶を飲みながら、各自の出来事や日本と自分の国などについて、楽しくお話して、良いと思います。時々、大学の勉強で、ストレスが溜まったりするので、このような時間があると、一瞬でも解消することができたと思います。皆優しく、明るい人で、また自国の事情をシェアしたら、皆の共通点があって、非常に面白く感じました。また、時々文化事業、研究会等があって、これらの事業に出ることで、ご年配の方とか、社会人とかに会って、交流することが出来たと思います。それから、日本で色々な人に出会って、コミュニケーションする上で、ありとあらゆることを理解することが出来ました。本当に感謝しています。
 私は、地元を離れて、日本で3?4年長く暮らして、日本が第2番の国だと思い、また日本人の方々にお世話になって、暖かく感じています。日本での一人での留学生生活は最初に心配と上安があったものの、支えてくださった多くの人々への感謝の気持ち、また人間の優しさといったものの重要性を強く感じました。これからも、自分の勉強や目標に向かって、頑張って生きたいと思っています。
最後になりますが、日本で出会った皆様の温かい心を忘れずに、今後は帰国又はどこへ行っても、またお会いできることを祈っています。ありがとうございました。

見出しへ

第93号 日本での留学生活

メイタ・ルンバヤン(インドネシア)
東京農工大学博士課程

(2012年7月1日 機関紙 アジアの光)より
私はメイタ・ルンバヤンと申します。インドネシア、スラウェシ島の北にあるメナド出身です。東京農工大学の博士課程で学ぶ機会に恵まれ、日本で留学生活を送っております。私の研究科目は環境再生エネルギーですが、日本での研究生活には知識の他にも研究室でのディスカッションのような日本の研究システムや、研究室の教授からの指導、大学と産業界との合同研究など、様々な利点があります。

 インドネシアでは卒業後に就職活動が行われるのが普通ですが、日本では卒業前に就職先を見つけることができるので、日本の友人達はとても幸せに思えるし、日本のこのシステムはとても良いと思います。

 知識の他に、私は日本の社会や環境、文化について多く学ぶことができました。日本人は勤勉で時間に正確であり、お互いに尊重しあうのを見てとても良い印象を持っています。特に、駅の看板広告にまだ秋であるのに春の桜の写真を載せたりと、常に未来を見据えているような感じを持ったことです。また、鉄道やバスなどの交通手段では常に乗客は静かで交通渋滞でも我慢している所です。私が道に迷った時に場所や方向を教えてくれたりした時はとても感動しました。

 日本は四季折々の生活を楽しめるのでとても興味深く、退屈することなど全くなく、 本当に時が過ぎるのがとても早く感じられます。私の趣味は写真撮影で、散歩をしている道すがら、日本の四季の変化の写真を撮ってよく現像します。花などは季節によって変わるでしょう。同様に店などの装飾や広告看板などもイベントごとに変わります。  毎週の週末には時間を見つけて博物館や公園、郊外の山、お祭り、都心から郊外までよく出かけますが、とても楽しんでおります。今でも覚えているのが、とあるお祭りで 日本の伝統音楽や食べ物を楽しみながら、着物を着たり折り紙をしたりしたことです。 とても素晴らしい思い出となりました。日本はドラえもんやハローキティばかりでなく、伝統文化や芸能を経験することができました。

 お花見や温泉、雪に触れたり、人生で初めての経験をしましたが、その他に時々アルバイトで日本の人達と仕事をする機会に恵まれて日本の就業システムについて知ることができました。市役所などではとても親切にしてもらい、商店街ではとても大事にしてもらいました。

 また、日本は夜歩いても安全であり、交通輸送機関も安全で気持ち良く使うことができます。ハイテク機器もどこでも使うことができ、自動ドア、CCTV、自動トイレも日本に来た時に驚いた記憶があります。駅も綺麗で静かであり治安も良く、日本語だけが難しいですが、毎日の生活はとても興味深く、心地よいものとなっています。

 東南アジア文化友好協会の久米川寮に入ることができて感謝しております。綺麗で家賃も安く、心地よい環境を探していた私にとっては神への祈りの結果であると感じます。 また、久米川寮での他の国の寮生との交流も楽しく、集まって食事をしたりテレビを見たりしております。

 日本での研究が終了した後には、インドネシアのメナドに戻って大学の先生になる予定ですが、日本で得た知識や経験をインドネシアで生かしたいと思います。インドネシアに戻ったら、多分日本のことを思い出して寂しくなると思います。だからこそ、帰国してもまた研究者もしくは旅行者としても再び日本を訪れたいと思っています。 もっと大学で研究に取り組んで将来のために生かしたいと思います。

 見出しへ

第93号 日本での生活

活動報告写真

ショボン・エムディー・タンビール・ハサン (バングラデシュ)
東京工業大学工学部電気・電子工学学科3年

(2012年7月1日 機関紙 アジアの光)より
私はショボンと申します。バングラデシュから来ました。今は、東京工業大学の工学部3年生です。専門は電機・電子工学です。私は2008年の4月に日本に来て、東京の日本語学校で1年間日本語を学びました。そして、愛知県にある豊田工業高等専門学校で、3年間勉強し、今年の4月に東京工業大学編入生として入りました。
 私は初めて日本に来てから、この4年間で日本の文化、歴史や生活についてたくさんのことを学びました。学校からの修学旅行やホームスティに、日本の様々なところに行ったりして日本についての知識を深めることができてよかったと思います。私の国では想像できないことも、いろいろ経験してみるのは面白かったです。たとえば、私の国では寿司や刺身はぜんぜん食べないですが、日本に来てから初めて食べておいしそうと思いました。または、私の国ではみんなと一緒にお風呂に入るのはありえないですが、日本の風呂場でみんなが一緒に入るのを見て驚きました。このような、いろいろなことを体験してみて、2つの国の文化の違いや類似が分かりました。  私は東南アジア文化友好協会のことを先輩に紹介してもらいました。先輩がもともと住んでいた久米川寮での生活や他の国の留学生と交流ができることを聞いて、この寮に入りたいと思いました。そして、今年の4月から私はこの寮に住むようになりました。久米川寮の良い点は、部屋はとても広いし、必要な家具はすべて設置してあります。毎週あるミーティングも良いと思います。このきっかけで、私はラオス、インドネシア、カンボジアなど、様々な国の学生と話したりして、それらの国についてたくさんのことを知りました。または、みんなで外食するのも楽しいです。  私は勉強のため日本に来ました。この勉強にはただ専門の勉強だけでなく、周りの人々の生活のし方、文化、技術、教養など様々なことが含まれてあります。これらのことを学んで自分が成長できるように頑張りたいと思います。

見出しへ

公益財団法人
 東南アジア文化友好協会

〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台2−1−19 アルベルゴお茶の水1012号

TEL 03(3296)0192