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アジアとの太いパイプで未来の人材を育成するSAFCA

活動報告report

見出し

第103号
「私の留学生活」
第102号
「日本の印象」
第101号
「日本の生活」
第101号
「日本の生活」
第100号
「日本の生活」
第99号
日本での留学生活 プッサワット・エナリン(ラオス)
第98号
留学生活と異文化コミュニュケーション ディマス・グミラン・プラウイト・プトロ(インドネシア)
第97号
人が育つ、国が発展する オイドブスレン・ツェツェガラバ(モンゴル)
第95号
日本の生活 ウィスダ・ウランダリ・ナピトゥプル(インドネシア)
第95号
日本での生活、文化が違うとどんな感じを持つのか?  エルナ(インドネシア)
第94号
日本での留学生活 チア・ポーレン(カンボジア)
第93号
日本での留学生活 メイタ・ルンバヤン(インドネシア)
第93号
日本での留学生活 ショボン・エムディー・タンビール・ハサン (バングラデシュ)

第103号 私の留学生活

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アリンダ・ヘルフィニンシ(インドネシア)

(2017年7月1日(5) 機関紙 アジアの光)より
はじめまして、私はアリンダと申します。インドネシアから参りました。2016 年 7月に日本に来ました。日本に住んでもうすぐ一年、TOPA 21 世紀語学校で勉強しています。日本に留学したのは中学生の頃から日本語を勉強している従妹にいつも日本の文化や日本の美しさを教えてもらっていたからです。 それで、ひらがなとカタカナから挨拶まで勉強を始めました。日本語の勉強を始めて知れば知るほど日本に留学したいと思いました。インドネシアのぺトラクリスト大学を卒業後、たくさん日本の学校を調べたり、努力を続けながら留学資金を貯めました。最終的に 4年後に留学することができました。
日本に到着後、日本には本当に素晴らしいこと、とても楽しいことを見つけました。毎日電車で学校に行きました。満員電車で混雑することがあります。インドネシアと比べて日本の電車はよく時間を守ってほとんど遅れません。混雑にもかかわらず快適になるよう、日本の人々も電車の中でマナーを守っています。日本ではじめて漢字を勉強して、大変難しいけど、おもしろいと思いました。他の国からの友人と勉強していて、日本のことだけではなく、他の国の文化も学びました。国際的な友人を持っていることは非常に楽しいです。
 学校が終わったらたいていアルバイトをしています。そこで日本人の性格を見ました。日本人がどのように食べるか、冗談を言うか、どうやって働くかについて分かるようになりました。アルバイトでは学校で教えてくれてなかった日本語がたくさんあり、ただ給料が理由なだけではなく、役に立つことも多いです。
 久米川寮に引っ越した時、新しい場所にもう一回慣れる生活を体験しました。以前私はシェアハウスに住んでいて、今は久米川寮に住んでもう5ヶ月ぐらいになりました。久米川寮で一人で暮らしている私は、自分の生活を自分自身で管理することになりました。例えば水道代、電気代、ガス代の手配を学びました。初めて水道代の請求書をもらった時漢字が読めないので詳しい事を読まないでコンビニでそのまま支払いました。また、ここでちゃんとゴミの分別をするのは勉強になりました。最初は非常に細かいと思いましたが、今はだんだん慣れています。
定期的に行なわれるミーティングと財団のパーティーはいつも楽しかったです。時々会ういろんな国の友達と話すのが面白かったです。特に記憶に残っているのは秋の紅葉のもみじ、最初の雪、最初の桜をこの寮で経験しました。私の部屋の窓から公園が見えます。毎朝あの公園を通る時、季節によって公園の木の色も変わりました。日本の四季の素晴らしさを感じました。
日本での学生生活は、間違いなく大変な場合があります。 しかし結果として、辛抱強く、より肯定的なものになる場合があります。日本人の言うことは時には強く、時には冷たい、非常に厳しく、高い規律があります。でも、一旦日本人と仲よくなると日本人の温かい心をすごく感じることができます。困った時には心から手伝ってくれました。
私たちはそれぞれの国に戻れば、別の性格と別の視点で、世界を見る人間になります。しかし、留学は知識も精神的にも人間として私たちを訓練し、育ててくれます。
ある先輩がアドバイスをくれました。「日本にいる限りは、できるだけ色々な経験をしながら、楽しんでやって欲しい」と。それで今はその経験をたくさん積めば後輩たちとほかの人に教えられると思います。素晴らしい手段や経験は、必要としている人に共有されてなければ無意味になると思います。私は、将来的に社会の役に立つ人になることができるよう、願っています。
私は戦い続けるし、私のビジョンに焦点を当てて、頑張ります!

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第102号 日本の印象

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モハメッド・スルタン(バングラディシュ)
電気通信大学 情報理工学 博士課程2年

(機関紙 アジアの光)より
日本の一番初めの印象は、「世界の大国のひとつ」というものです。高校時代、社会学の授業で「日本の法律:平和の謎」という章がありました。社会学の授業では日本の法律に関する様々な勉強をしましたが、日本国憲法 第9条を学んだ時、驚きを隠せませんでした。戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認という趣旨の条文を持っている国が、どのようにして世界を牽引してきたのか率直な疑問でした。何故なら一般的に、軍隊がなければ世界では存在感がないと思われているからです。それなのになぜ日本は違うのだろう、と不思議で仕方ありませんでした。そこで思い起こされたのは、日本製品のことです。日本の技術のことは言うまでもないことですが、母国バングラデシュにおいて多くの人々は、日本製の製品であれば高い満足感を抱き、製品の質を信頼し、そして日本製のものを手に入れるのだ、という誇りをもって商品を購入します。つまり、日本は武器ではなく、技術によって世界に台頭できたのだということに気づきました。他のバングラデシュ人と同様に、私自身も日本の技術に高い尊敬を寄せています。だからこそ、留学先として「武器が強い国」ではなく、「技術が発達し、社会性が強く、平和な国」である日本へ留学することを迷わずに決めたのです。現在日本に来てから5年以上経ちましたが、日本の技術に対する尊敬の念はますます強まっています。  2009年4月桜が満開の春に、日本の先端技術を身につけて母国を支えていける技術者になる、という夢を抱いて「平和の国」日本へ来ました。日本の美しさは、ただ自然に恵まれているということだけではなく、その自然を守る日本人のこころの優しさや清さを反映しているのではないかと思いました。春だけではなく、秋春夏冬多様な表情を持つ日本四季は、すなわち日本人のこころの豊かさの表情だと感じています。2009年に富士山に登り、日の出を見て「幸せの始まりはここだ」と心の底で感じました。
 私はドライブが大好きで去年日本で免許を取得しました。それから休みの日にレンタカーで日本の多くの場所を観光し、今まで25県ほど訪問しました。そこで、日本の交通技術と安全さに非常に驚きました。日本は山が多いですが、その山を通る高速道路は日本の高いレベルの技術の証明だと思います。そして、高速道路でみんなマナーを守っているところを見ると車の運転が日本人の慎み深い態度が現れています。この4月には友達と青森まで行ってきました。友達が休憩所の化粧室に財布を忘れてしまい、300キロも走ってから財布を忘れたことに気付きました。そして、警察に届け出を出し、三日間で財布が戻ってきました。しかもその財布中はそのままで、「やっぱり日本だな!」と日本の治安の良さを痛感しました。
 長期バカンスをとることは外国人とって当たり前のことですが、日本人は長期休暇をほとんど取りません。日本人は夏の長期休暇もないのに何故そんなに頑張って働くのかとても不思議でした。毎年何週間も休暇をとる外国人からすると、ゴールデン・ウィークやお盆休み、お正月程度の休みで満足している日本人が理解できませんでした。「日本の労働組合には力がないのか」、「ストライキする人はいないのか」といろいろな面で疑問を持ちました。高専に入ってから私は初めて日本の文化の神髄に触れることができました。そこで初めて、日本人の仕事に対する価値観が分かりました。仕事を徹底的に完成するのが日本の文化です。一所懸命働かないと、完璧に仕事が終わらないことにつながります。日本人は責任感が高く、いくら辛くても、休みが少なくても他人には迷惑かけてはいけないという考えを持っています。日本人は徹底的に仕事をするため、今では世界において日本は「技術の国」という地位を得続けています。日本人のこの徹底した仕事に対する姿勢の最も良い例は、ただのアルバイトでも一生懸命に働く人の多いことです。チップがもらえなくても、買う意欲のないお客さんにも平等にいいサービスを提供する日本人の行動に驚きました。
 「自然の美しさ」、「人の道徳性」、「安全性」、「国の高度な技術性」のある日本に留学した決意が、私の人生での素晴しい決心だと、今自分自身でそう思っています。

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第101号 日本での留学生活

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ヌゴブ・グーチイァン(カンボジア)
東京スクール・オブ・ビジネス2年

(2016年6月1日(6) 機関紙 アジアの光)より
私が日本にやって来たのは2年前のことです。2年経って、嬉しい気持ちとともに懐かしい思い出で胸がいっぱいです。振り返って見ると、日本に来てから今まで充実した留学生活を過ごせたと自分自身にも言えるし、自分が多くの面で勉強になることがありました。
それは、日本の文化や習慣の理解、また様々な人との出会いや新しい学問との出会いによって可能となりました。
 初めて日本に来た時は全てが大変でした。まずは、日本語が全然話せませんでした。買い物やレストランに行った時にはいつも何を買えば良いのか迷っていました。メニューや品物は全部日本語で書いてあるので、全く分かりませんでした。そして買った材料や注文した料理はあまり食べられませんでした。少し見かけが悪くて変な臭いがして食べるのがつらかった食べ物もありました。忙しい東京に住んでいる私は、困ってホームシックになりました。そんな辛い時は、一番大切なものは、家族や友達からの励ましです。インターネットや通信技術の発達で遠くても両親に連絡することができて、父や母の応援で頑張ることができました。今まで日本に留学に来て、一人で住み、自分で買い物し、料理を作り、毎日の生活は自分の力で計画を立てなければなりません。この留学のおかげで今の私は来る前より自立し、計画性を持つことができるようになりました。
 日本語学校を卒業後、経営学の専門学校に入りました。初めて日本人と一緒に勉強しました。その時は、私にとって非常にチャレンジングな体験です。一年間学んだ日本語はまだまだ足りないと思っています。特に日本人と会話する時、本当に接しているうちに、コミュニケーションするのは難しいです。日本語学校で先生の話し方はゆっくりでしたが、最初はよく分かりませんでした。授業での先生の説明は全然理解できませんでした。分かるようになるために毎日専門用語をいっぱい覚えて、もっと日本語の漢字や文法の勉強を努力するようになりました。留学生は本当に大変でずっと長い間テキストや本を読みました。時々私は授業の内容を分かるようになるためにずっと先生の説明を聞いて、録音して、ノートに書いて、帰ったら復習していました。でも、私の日本人の友達を見ると、クラスでずっと寝ていたのに、テストの結果はいつも良い成績をとっていました。自分の結果を見ると、まだ努力が足りず、本当に頭が疲れて落ち込んでいました。今まで続けることができたのは、先生や周りの人たちのおかげでした。
 半年くらい経つと、日常生活の色々な面からも日本や日本人をもっと理解するようになりました。日本のマナーや文化を学ぶのは難しいです。前は、日本のマナーの話を聞いて何のことか分かりませんでした。例として、部屋に入る前にドアをノックするとか、入る時の話し方とか、とても面倒くさいと思いました。今はマナーはある程度理解でき、仕事をする時に成長できるようになりました。そのマナーを学び、その国の文化ををよく分かるようになりました。また、この留学生活によって、自分の視野が広がる感じがあります。私の眼は自分の専門だけに拘わるのではなく、もっと広い世界と広い領域に向かっているようになりました。この日本にいることによって、皆一緒に交流し、個人として、留学生として、国際交流をどう進めるか私も少し分かるようになりました。どの国の人にとっても、心から伝えることが一番重要だと思います。
 私がこの留学生活によって感じたことを色々な面から書きましたが、この2年間私にとって非常に大切な体験です。これから私はこの大切な体験を身の回りの人々に少しだけの変化を起こさせて頂ければ幸いだと思います。

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第101号 日本の生活

チョーンペッサラート・プッサダー(ラオス)
東京国際大学経済学研究科修士1年

(2016年6月1日(5) 機関紙 アジアの光)より
こんにちは。チョーンペッサラート・プッサダーと申しますが、「サニー」というニックネームでよく呼ばれています。ラオスから参りました。ビエンチャン出身です。去年の4月から来日して、1年間研究生として日本語勉強していました。現在、東京国際大学経済学研究科修士課程の1年生です。今回日本に来たのは2回目です。2012年に初めて交換留学生としてほぼ1年間日本で暮らしました。日本での留学生活の話はたくさんあります。1回目と2回目ともお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
初めて日本に来た時には日本語がうまく話せなくて、成田空港から新宿まで一人で行かなければなりませんでした。到着したらバスで行けるという情報はありましたが、どうやってチケットを買うかわかりませんでした。30分ぐらい質問を準備して、やっとスタッフに聞けるようになりました。新宿からは大学のボランティアが迎えに来てくれました。
やはり最初の生活はまだ慣れませんでした。ラオスではバイクや車しか使いません。一方、日本ではいつも電車で通うしかありません。3週間ぐらいで電車の乗り方に慣れるようになりました。それまでは非常に困りました。それに、ラオス人は地図を見るのが珍しいですが、ここではみんなよく地図を見ます。地図を見るのも時間かかりました。慣れてきたら便利で、どこへも行けました。しかし、スマホがなくて道などを調べることができませんでした。パソコンできちんと電車の時間や道を調べておいて出かけます。よくわからなかったら人々に聞きました。日本人は本当に優しくて助かりました。
1年間で日本の文化を知りながら勉強していました。日本文化は、茶道、書道、生け花、十二単という着物を着る授業がありました。茶道が一番好きでした。美味しいお菓子とお茶を食べることができたのです。十二単はとても珍しいものでした。この授業を受けてよかったと思います。
日本人とも外国人とも友達ができて楽しく生活しました。問題は特にありませんでした。2カ月の夏休みは他の留学生が国へ帰りましたからあまり会えませんでしたが、自分で日本国内を旅行しました。青春18切符で広島まで行きました。青春18切符というのは、すべてJR線に乗れる特別な磁気で使えるチケットというものです。安いですが、急行電車には乗れないのです。ですから朝4時に家を出て夜10時に広島に着きました。スマホがないまま2日間で広島と宮島へ行きました。初めての一人旅行でした。あまり私は強くはないのですが、少し寂しかったです。 広島の後は、関西の大阪、京都、奈良、神戸を旅行しました。一人で行きましたが、京都には先輩がいて一緒に泊まらせてくれました。夏なので、蒸し暑くて仕方がなかったです。しかし、4日間で先輩と様々なところを旅行できてよかったです。いい思い出でした。その上、試験後の2月にまた一人で北海道へ遊びに行きました。また日本へ来られるかどうかわからなかったので、雪祭りを見ないと国へ帰りたくないとまで考えました。北海道に日本人の友達がいました。彼らが1週間の交換プログラムでラオスへ行きました。その時に友達になってコンタクトして良かったと思います。
1年間は早かったですが、いろいろなことが起きました。たくさん旅行をできて嬉しく帰りました。交換留学の時は授業が少なかったし、あまり難しくなかったので、遊ぶ時間がたくさんありました。しかし、今回は大学院のために日本に留学しに来ました。毎日大学へ行かなければならなく、とても忙しいです。去年の8月から東南アジア文化友好協会久米川寮に引越しました。毎日電車で、東京国際大学までほぼ1時間かかります。いつも自分で料理を作りますが、疲れたときにはコンビニでおにぎりやサンドイッチを買って食べます。平日は勉強ですが、土日は休むことができます。リラックスのために時々家の近くの公園へ行きます。
私の話を長く書いたので、ここまでにします。将来のことは、卒業したら日本で働くか、またラオスで働くかまだ決まっていません。これからは勉強と研究をしていきたいと思います。

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第100号 日本の生活

プー・ソティアロット(カンボジア)
日本デザイナー学院・インテリアデザイン科2年生

(2015年12月1日(6) 機関紙 アジアの光)より
こんにちは。私の名前はプー・ソティアロットと申します。21歳で、カンボジアから来ました。現在は東南アジア文化友好協会久米川寮に住んでいます。今から、私の日本での生活をお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
 私は2013年4月に日本の文部科学省の奨学金で日本に来ました。渋谷区にある文化外国語専門学校に通い、杉並国際会館というBILの寮で住んでいました。その時、日本語が通じないため、他の留学生とは英語で話していました。でも、毎日少しづつ日本語を頑張って勉強して、やっと1年間で日常会話ぐらいはできるようになりました。その日本語学校での1年間は大変なこともあるし、面白いこともありました。日本語を学ぶとき、文法や語彙や漢字、読解などを勉強しましたが、私にとって一番難しいのは漢字の勉強だと思います。そして、学校の先生が日本語を教えることだけでなく、日本の文化も教えてくださいました。先生のおかげで、日本のことが分かってくるようになります。毎日色々な国から来た留学生と一緒に住んでいて、同じ学校に通って楽しかったです。そして、お互いの違う文化を理解することは面白かったです。その上、寮にいる寮父さんと寮母さんが優しく日本の生活について教えて下さって、感謝しております。私が病気になった時も病院に連れて行ってくれました。すごかったです。そして、2014年3月に文化外国語専門学校を卒業しました。そして、杉並国際会館を引越し、東南アジア文化友好協会久米川寮に来ました。
 2014年4月に日本デザイナー学院に入学しましたが、2年の予定で通っています。現在はインテリアデザインを勉強しています。現在は2年生です。インテリアデザイン科というのは住宅デザインやショップデザインやディスプレイデザインや家具デザインなどを学ぶところです。1年生の時、それを全部学んでいましたが、2年生の後期になると、卒業制作に向かって、その中で1つだけ選びます。私は住宅デザインが好きなので、これを学びたいと思います。専門学校に入学したばかりの時、ちょっと大変でした。授業は日本語で行われていますから、最初は専門用語が分からなくて、授業の内容を聞き取りづらくなりました。でも、時間が経つとどんどんと言葉が分かっていて、授業が楽しくなります。その上、日本人の友達もできて、本当に嬉しかったです。日本デザイナー学院を卒業した後、大学の3年生に編入する予定です。インテリアデザイン科か建築科に進学したいと思います。
 日本で留学生活をするのは学校で勉強するだけでなく、出かけることも大変勉強になることだと思います。そうすると、日本の文化、習慣、毎日の生活がよく分かるようになります。そして、リラックスすることができます。ですから、私はどんなに忙しくても、ちょっとだけ散歩すると、気持ちがよくなりますので、時間を作って友達と出かけます。  日本にいるのは今年3年目になって、日本がどんどん好きになります。日本の文化もいい、人柄もいい、環境もいい、教育もいい、すごい国だと思います。日本に留学できて良かったです。これからもよろしくお願いします。

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第99号 日本での留学生活

プッサワット・エナリン(ラオス)
拓殖大学大学院 国際関係論2年

(2015年7月1日 機関紙 アジアの光)より
 私の吊前はプッサワット・エナリンと申します。私はラオス人で、首都のビエンチャン出身です。日本に留学する前はラオスの通信会社で勤務しており、日本には出張で2度来たことがあります。ある日、私の仕事場の同僚から日本留学を薦められ、最初はどうしようかと迷いました。しかしその人が親切でかつ楽天的な、常に人生にトライする、挑戦する人でしたので、ビエンチャンにある日本大使館の留学生奨学金プログラムに申し込み、結果日本に留学できるチャンスを得ることが出来ました。正直、留学生奨学金プログラムにパスするとは思っていなかったため、とても驚きましたが、この時から私の日本での留学生活が始まったのでした。私にとって幸運だったのは何月に日本に来るか、私が選択することが出来ることでした。そのため私は2012年4月を選ぶことにしました。というのも4月は桜の花が満開の時期であるため、一番良い季節であり、私の人生をリフレッシュする良い時でした。
 私は早稲田大学大学院MBAコース2年間の大学院生として勉強を始めました。多くのことを学び、いかに多くの国や民族がいて、多くの様々な知識を得ることが出来ました。卒業後の3年目は拓殖大学修士課程の国際関係論を選考しました。今のところ、卒業論文の提出期限は2016年1月なのですが、6か月早めて「経済再生のための2008年?2011年のラオスにおける一地域の一事業の先行プロジェクト《を書き終え、残りの期間にもっと様々な興味深い経験を積むことにしました。
 外国人留学生として日本で暮らすことは楽しさを感じると共に大変でもあります。楽しいことと言えば、私は旅行が好きで、日本の様々な場所へ行くことができました(沖縄、広島、神戸、大阪、奈良、京都、三重、吊古屋、新潟、長野、群馬、福島、北海道など)。日本は様々な歴史的、伝統的、文化的なものを現代の最新テクノロジーに導入し、日常生活の中に組み込んでいます。現代の技術とその国の文化を同時に結合させることができる。日本は夢のような国で、様々な創造的なアイデアと日本人がそれを行っていることを学ぶことが出来ました。
 その反面、留学生活で大変なことと言えば、物価が高いことと日本語が難しいことです。私は日本語があまり上手ではないため、特に高齢者の日本人と難しい会話をする時は日本語と英語を取り混ぜて、時には身振り手振りで会話をします。また、日本の物価は高く、いつも緊縮財政での生活を強いられています。しかしながら、東南アジア文化友好協会の留学生寮で生活することができ、またそこに住む他の国の気さくで楽しい留学生の友人達と交流する良い機会を持つことが出来ました。とりわけ、寮の管理をしてくれる和気さんはとても親切で様々な世話をしてくれ、留学生寮での生活を送る上でとても助かるため、和気さんと知り合えて全てに感謝しています。
 大学院での修士課程の修了後、私はラオスに戻り、これまでの知識や技能を使ってラオスの発展に貢献し、これからの生活やビジネスに役立ててゆきたいと思っています。将来はビジネス・ウーマンとして成功し、またラオスの民間NGOの仕事に取り組んで行きたいと思っています。
 全てにおいて、日本での生活は素晴らしいものであり、とても幸せでした。私は日本を第二の故郷と思っています。というのもこの留学生活で様々なことを学び責任ある大人として成長でき、精神的に独立できたからです。私は日本での様々な経験、思い出、友人達をいつまでも忘れないでしょう。
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第98号 留学生活と異文化コミュニュケーション

ディマス・グミラン・プラウイト・プトロ(インドネシア)
亜細亜大学 国際関係学部国際関係学科4年

(2014年12月1日 機関紙 アジアの光)より
 私はインドネシアの首都ジャカルタの端っこにある町で生まれたディマス・グミラン・プラウイト・プテラと申します。そこで18年間暮らしました。子供の頃は海外で滞在するまたは海外で留学するという夢はまったくなかったが、高校を卒業した後、いきなり親から海外留学に行ってくださいというチャンスを与えてくれた。当時はイギリスかオーストラリアに留学しに行くことを考えていたが、ある日、ドラえもんというアニメを見たら「あっ、日本でもいいじゃないか《と思うようになった。その後、日本についてさまざまな情報収集をして、さらに日本へ留学しに行くという気持ちが増して日本へ留学することにした。その時一番強かった理由は日本で留学したら、英語だけではなく日本語を学ぶことができることからだった。
 最初は日本語だけを2年間勉強をして、その後インドネシアに戻り、日本と関わるビジネスをやろうと思っていた。しかし、実際日本語を勉強し始めたら日本語は難しくて2年間だけ勉強するだけでは日本人の小学生レベルの会話しか話せないと気づいた。つまりビジネスでは使えないということが気づいてさらに日本の大学に進学することにした。
 神戸YMCA日本語学科で2年間日本語を勉強して、卒業後に上京することにした。受験した4つの大学の中3つの大学が受かったがほとんどは関西にある大学だった。東京に行きたくて、進学先は亜細亜大学に決めた。現在は亜細亜大学の国際関係学部で国際法学を中心に勉強している。日本の大学に入学した後、日本語学校でなかなか作れない日本人の友達が増えて、日本語や日本の文化、日本の習慣などがより分かるようになって、そこで日本でのやりがいをやっと見つけた。国際関係学部でさまざまな国の文化を基礎として学んだ上、それぞれの国に関わっている国際条約や国際法について勉強をしている。これらのことを学んだ上で、自分の立場はインドネシア人であることだけではなく、自分は国際社会に出ているインドネシアの代表であることが分かった。そのため、留学中にはさまざまの出身の留学生の文化や考え方などを理解しながら、インドネシアの文化などを紹介する、つまりお互いに異文化コミュニケーションをとることが好きである。
 大学での生活以外に、普段やることは趣味やアルバイトをしている。私の趣味は動画撮影とデザイン編集することである。それぞれのテーマで自分のカメラで撮影し、撮った動画を編集している。私は私費留学生なので生活費と一部の学費を稼ぐ為にアルバイトをしている。さまざまなアルバイトを経験したことがあるが、今は都内にある学生向けの就職活動を支援する会社で事務の仕事をやっている。仕事はかなり大変だが、大変日本語の勉強になり、将来就職のために良い経験だと思っている。現在私は東南アジア文化友好協会の久米川寮の寮生である。寮には寮父さんと6人の留学生と一緒に暮らしている。それぞれは個別部屋になっているが、月に2回ティータイムをしながらミーティングを行っている。その時はそれぞれの話をシェアしたり寮の予定を企画したりする時間である。久米川寮は大変良い場所である。
 将来私がやりたいことは、どんな仕事でも今まで自分の経験を生かしながら仕事したいと思っている。具体的には今日本で留学をし、国際社会人であることを意思する。そこで今まで経験や体験、体感したことを役に立ちたいと思っている。日本滞在歴は今年6年になって、今まで私が思ったことは。日本は私の学校であり、日本の社会は私の先生であり、日本の文化は学ばなければいけない科目であること、また、毎日を経験した出来事は私の課題であることと思っている。これからも卒業後インドネシアに帰国しても、今まで運んで来た繋がりをずっと大切にしたいと思っている。
 ネルソン・マンデラ氏の1つの美しい言葉がある。「あなたは、その人の第2言語と話すと、あなたはその人の脳と話している。しかし、あなたはその人の母国語と話すと、あなたはその人の心と話すのだ《。これを読んだら、私は日本人と会話できて、その時日本に留学することを決意したのは、本当に正しい決意だったと思っている。
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第97号 人が育つ、国が発展する

オイドブスレン・ツェツェガラバ(モンゴル)
元留学生OB

(2014年7月1日(4) 機関紙 アジアの光)より
私が日本という国に出会い、日本について知ったきっかけは、小さい頃に日本のドラマ「おしん《を見たことでした。そのような日本のイメージを大きく変えてくれたのは、高校生のとき留学受験勉強に励んでいたモンゴル・日本人材開発センターでした。お陰様で、日本に留学でき、忘れられない出会いや大変貴重な経験させていただき見える世界が広がりました。その経験を通して、これからのモンゴルを支える多くの人々を応援する仕事をしたいという夢を胸に抱えて帰国しました。

そして、私はモンゴルの国づくり、人材育成に貢献し、日本人とモンゴル人の交流・関係をより一層深めるために、モンゴルと日本との心の架け橋になりたいと思い、仕事先を探しました。今は、日本との様々な交流の拠点であり、モンゴルの市場経済化促進に貢献する人材育成にも大きな役目を果たしているモンゴル・日本人材開発センターで働いています。

モンゴルは、かつて計画経済を指向し、現在は市場経済への移行を果たしつつあります。これからのモンゴルでは、政府の法律や制度が変わっても、人々が市場経済のルールを知り、ビジネスの現場で実践していけることが重要です。そのため、日本が得意とする経営ノウハウ・知識・技術を参考に、ビジネス業界のニーズや社会的背景を考慮しながら、必要とされる知識と技術を人材育成に反映させ、継続的に見直していくことが上可欠です。

他方、日本に留学していたときは、日本の人々に母国モンゴルの文化・社会・伝統行事を紹介する場が多くありました。ある小学校で、自分で調べて作ったモンゴルの伝統的な家ゲルの模型を紹介しているうちに、大草原の中を一年中季節に合わせて移動して暮らしてきたモンゴル人の知恵や文化の素晴らしさに改めて感動しました。モンゴルから離れたからこそモンゴルの伝統、モンゴル人のアイデンティティはどのようなものかについて気づかされたのです。現代のモンゴル人は文化から遠く離れています。自分たちが忘れかけている文化・歴史を振り返り、モンゴル人の特性を生かした発展へと進むべきだと考えます。

モンゴルの将来を背負って行く技術者・経営者たちは、ビジネス事業の拡大・発展に必要な情報や知識を求めていますが、長期間でさらに競争力のある安定した経営を維持するには、モンゴル人の特性を生かした発展へ進むべきです。私が目指しているのは、人間を基にした国づくりです。国づくりが人間をベースにしているということ、あるいは、文化をベースにして成り立っているということをきちんと意味づけた上で人々の育成をしたいと考えます。そこで、私はモンゴルの文化、社会、モンゴル人の考え方に適応する国際的に認められる人材育成に携わっていきます。

私は、モンゴル人の知恵を生み出し、眠っている能力を発揮させるような環境を整えることを日本での経験を活かして支援し、さらに貢献していきたいと思います。

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第95号 日本の生活

ウィスダ・ウランダリ・ナピトゥプル(インドネシア)
西武文理大学サービス経営学部サービス経営学科3年

(2013年7月1日 機関紙 アジアの光より)
 私が日本に来て、もう5年目になります。日本に来る前にテレビや雑誌などで日本のことを少し知っていました。日本はすごく経済的に豊かで、民主的な先進国です。日本人は非常に礼儀正しく、仕事はハードワークで非常に厳しいなど、様々なイメージを持っていました。なぜこんな小さい日本がこんなに裕福で科学技術がこんなに先進なのだろうかと思って日本に来ました。

初めて日本に来た時、一番最初に日本領土を踏んだのは成田空港です。広くて、本当に清潔で、係員は丁寧に仕事をしていて、いろいろな国の人達を見ました。
その時の私はすごく興奮していました。これから、自分もこの国に生きることになるとは信じられなくて、その時の気持ちは言葉で言い表わせません。 いろいろな理想のイメージが頭に浮んでいました。

でも現実はいつも想像より厳しいものです。日本に来たばかりで私は日常会話も話せないし、様々な問題が次から次へと出てきました。特に日本の物価が高いことは世界でも有吊なので、アルバイトもしないと日本で生きることはできません。しかし、日本人の友人から「日本に来てから、どんな方面でも、頑張りなさい。日本人に負けるな!もう一つ、あなたをバカにする者は絶対に許してはいけません・・・。《と言われ、これを聞いて、本当に心が暖まる感じました。そして、「自分は頑張らなきゃ《と思いました。

インドネシアと日本はもちろん違う文化です。しかし、私はインドネシアの文化そのものではないし、私が目にしたものや出会う人々も必ずしも日本の文化そのものだとは言えません。結局、母国の文化に比べながら日本社会を定義しようとしたり、判断しようとすることは自分の価値観や経験の投影であり、事実そのものを捉えることではない。私は異文化や社会は乗り越えることではなくて受け入れることであり、勉強を通じて考察することが大事だと信じています。それこそが留学生である私の使命だと思います。

最初の千駄ヶ谷日本語学校での2年間に勉強は本当に辛かったです。頭が痛くなるほど、毎日毎日繰り返して、文法とか文字とかを勉強しました。そして、時間の流れに従って日本語レベルがだんだん高くなってきて、日本語を勉強する本当の意味を感じました。日本語学校卒業した後、東京商科・法科学院専門学校に入って、授業が本格的に始まりました。しかし、授業の内容が半分しか聞き取れない先生もいました。授業に出た専門用語以外の言葉、ただの日常レベルぐらいの会話さえもあまり聞き取れないので、とても、ショックを受けました。それどころか、もっとショックを受けたのはその後のことでした。ある日、一緒に同じ留学生の友達と学校の近くにお昼ご飯を食べに歩いたところ、日本人のクラスメートに会って、一緒に食べました。たくさん話して、だんだん話が変わってしまって、話もだんだん分からなくなりました。思いがけないことにはどれほど一生懸命に聞いても、日本人のクラスメートの話が殆ど聞き取れなかった。方言も一つの原因でもあるのでしょうけれども、やはり自分の勉強上足を今回のことで実感した。結局、気分は負け犬のように、アパートに帰ってきたのでした。

そういうことで、それから、授業にちゃんと出て、先生の話をしっかり聞きました。専門学校では部活が無くて、東京大学で勉強してるインドネシア人の友達に紹介してもらった東京大学で興味があったサークルに入りました。手話サークルです。1年間ぐらい学びました。本当に難しかったですが、楽しかったです。やはり、学校の勉強だけではなくて、サークルも大事だと思っています。専門学校を卒業して、まだまだ日本語が足りなくて、大学まで勉強したいと思います。学業を続けたい気持ちが強くなりました。

今、大学3年生に編入して、また大学でダンス部に入りました。学校から近いし、東南アジア文化友好協会の久米川寮に入りました。すごい良かったと思います。初めて寮に入って、毎月2回、同じ寮の留学生達とミーティングをやっています。それだけではなくて、ちょうど3週間前に同じ寮のみんなで寮の庭の中で草むしりをしました。もちろん、寮の庭が美しい見えるのでしたら、みんなのためですから、すごく肯定的なことです。

日本に来た時の元気と意欲、 将来へのあこがれを胸いっぱいに抱いていた気持ちは毎日の忙しさですぐになくなり、今では勉強とアルバイトと部活を一生懸命にやっています。生活が安定してみんなは十分に満足しています。

しかし、月日の経つうちに私は毎日ロボットのような授業やバイトが終わった後に、はっきり分からないストレスがどこかに隠されているような感じがしました。時々上安になりました。家に帰って、 一人で畳に座ってテレビを見ようとしている時、番組が多種多様であるけれども、私は精彩を放っている世界に全然入れませんでした。私は呆然としていました。 人間は何のために生き続けるだろうか?自分は何のために生きているだろうかなどの疑問が私の胸にわいてきました。私は日本に来て、 将来の見通しが立たず、日が経つにつれて、むなしい気持ちはますます強くなっていました。物質的な豊かさは精神的な空虚さを満たすことはできないと思いました。

毎週、寝る前に電話で父と話をしました。父には学校であったことや日本の学校や生活など話してくれました。習慣の違いや言葉が通じないことから、 行き違いがいっぱい起こりました。時々一人で笑っているうちに眠りにつきました。

私はもっと勉強したいと思いました。知識は精神的な空虚を満たすことができると思います。でも日本にいる短い間に、自分の力で生きることも学びました。これは私の一番の収穫です。自分が選んだ道は間違いないと信じています。これから先の道はまだ長いですが、 頑張って行きます。

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第95号 日本での生活、文化が違うとどんな感じを持つのか?

エルナ(インドネシア)
東京工学院専門学校アニメーション科

(2013年7月1日 機関紙 アジアの光)より
 漫画が大好きな私は初めて日本に来て、幸せな感じでした。その時はまだまだ日本語が話せなかったけれど、上安は少しも感じなかった。新しい家や、新しい友達や、新しい生活が始まると、私にとって、よみがえる気持ちになった。文化が違うので、驚いたこともたくさんあった。一つの例として、誰かに物をあげる時、日本人は左手で渡すけれど、自分の国で、もし左手で物を渡すと失礼なことです。私はこの習慣を見習うべきかを迷い、たまに右手で物を持ってるときに、左手で物を渡すことになり、日本はインドネシアではないから、まあいいや、と思うようになった。
 日本の技術も素晴らしいと思う。日本の電車と新幹線をよく観察すると、やはり、日本の技術は世界で一番だと思ってる。技術と言えば、日本に来たばかりの時、一番驚いたことは、日本のトイレです。何のためにこのボタンがあるのかという疑問が生じた。便利すぎて、自分の国でも、こういうふうなトイレを持ってれば、いいなと思う。また、日本人の性格も様々あるけれど、ほぼ皆は真面目で、特に仕事のことは働き者と言えると思う。夜中に帰ってくるサラリ?マンをたくさん見て、大変な仕事かもしれない。自分の国ではサラリ?マンより、店を持ってる人とか、店員とか、屋台で販売してる人とか、夜中まで仕事する人ほうが多い。会社と違い、会社はちゃんと帰る時間になったら、普通に帰る。たぶん残業するサラリ?マンもいるかもしれないけど、夜になってから、あんまりサラリ?マンの姿を見ないです。
 最初に日本に来た時は日本の文化にすぐ慣れると思ったけれども、その時は日本人の友達はまだ持ってなかったから、自分が自分で自由にやることのほうが多いので、異文化ということはあんまり感じてなかった。しかし、日本人の友達を持ったら、文化が違うということははっきり分かるようになった。日本語は壁になる時もあった。その時は外国人として私は、大目に見て欲しいと思った。この時に自分は「もう日本人になっている《と感じた。
 私は日本にいる間、いろいろな経験を積みたいです。今、アルバイトでも、学校でも、集会でも、たくさんよい経験をもらった。人生に向けて私は日本からインドネシアに何か新しいことを持って帰れることをよく考えて、日本でちゃんと自分の習っていた専門を生かして、インドネシアの役に立つように頑張りたいと思う。

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第94号 日本での留学生活

チア・ポーレン(カンボジア)
一橋大学大学院経済研究科専修コース修士1年

(2012年12月1日 機関紙 アジアの光)より
 私はカンボジアから来たチア・ポーレンと申します。2009年4月に来日し、3年半間経ちました。日本に来たばかりの時、何も分からなくて、日本語のコミュニケーションも大変でした。日本へ来る前、日本語は少し習得してきましたが、日本の環境に慣れていないせいか、いつもホームシックになっていました。日本の最初の一年間は北新宿にある東京日本語教育センターで日本語を勉強していました。そこでは色々な国の留学生が多く、特に東南アジア留学生の友達ができて、どんどん楽しく過ごせるようになりました。そして、日本の国立大学で有吊とされる一橋大学へ修士課程に進学することができて、自分の誇りに思っています。日本へ来たのは海外初めての経験でしたが、非常に貴重な機会だと思います。日本へ留学することによって、考え方や視野が広くなり、物事を色々な角度から考えるようになりました。また、専門の勉強だけではなく、幅広く日本の社会、文化、芸能なども興味を持ち、出来るだけその文化を体験したり、現場を見て、勉強したりしています。今は日本のことが大好きで、日本人の考え方や、暮らし方、習慣などが独特で、もっと発見したいと思いました。
 日本では、健康、安心、安全を考えることがあり、本当に重要だと思います。また、日本人の礼儀も、見習いたいと思います。どこに行っても、「すみません《「ありがとうございます《という言葉をよく耳にするので心がとても温かく感じます。さらに、多くの耐震施設、自動販売機等、人に対するサービスがよくて生活が便利で、暮らしやすいと思います。
 私は今、東南アジア文化友好協会久米川寮で住んでいます。久米川周辺はとてもにぎやかで、買い物やレストランなどに困らない場所で、快適に暮らすことが出来ます。また、他の寮生と定期的に会って、お茶を飲みながら、各自の出来事や日本と自分の国などについて、楽しくお話して、良いと思います。時々、大学の勉強で、ストレスが溜まったりするので、このような時間があると、一瞬でも解消することができたと思います。皆優しく、明るい人で、また自国の事情をシェアしたら、皆の共通点があって、非常に面白く感じました。また、時々文化事業、研究会等があって、これらの事業に出ることで、ご年配の方とか、社会人とかに会って、交流することが出来たと思います。それから、日本で色々な人に出会って、コミュニケーションする上で、ありとあらゆることを理解することが出来ました。本当に感謝しています。
 私は、地元を離れて、日本で3?4年長く暮らして、日本が第2番の国だと思い、また日本人の方々にお世話になって、暖かく感じています。日本での一人での留学生生活は最初に心配と上安があったものの、支えてくださった多くの人々への感謝の気持ち、また人間の優しさといったものの重要性を強く感じました。これからも、自分の勉強や目標に向かって、頑張って生きたいと思っています。
最後になりますが、日本で出会った皆様の温かい心を忘れずに、今後は帰国又はどこへ行っても、またお会いできることを祈っています。ありがとうございました。

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第93号 日本での留学生活

メイタ・ルンバヤン(インドネシア)
東京農工大学博士課程

(2012年7月1日 機関紙 アジアの光)より
私はメイタ・ルンバヤンと申します。インドネシア、スラウェシ島の北にあるメナド出身です。東京農工大学の博士課程で学ぶ機会に恵まれ、日本で留学生活を送っております。私の研究科目は環境再生エネルギーですが、日本での研究生活には知識の他にも研究室でのディスカッションのような日本の研究システムや、研究室の教授からの指導、大学と産業界との合同研究など、様々な利点があります。

 インドネシアでは卒業後に就職活動が行われるのが普通ですが、日本では卒業前に就職先を見つけることができるので、日本の友人達はとても幸せに思えるし、日本のこのシステムはとても良いと思います。

 知識の他に、私は日本の社会や環境、文化について多く学ぶことができました。日本人は勤勉で時間に正確であり、お互いに尊重しあうのを見てとても良い印象を持っています。特に、駅の看板広告にまだ秋であるのに春の桜の写真を載せたりと、常に未来を見据えているような感じを持ったことです。また、鉄道やバスなどの交通手段では常に乗客は静かで交通渋滞でも我慢している所です。私が道に迷った時に場所や方向を教えてくれたりした時はとても感動しました。

 日本は四季折々の生活を楽しめるのでとても興味深く、退屈することなど全くなく、 本当に時が過ぎるのがとても早く感じられます。私の趣味は写真撮影で、散歩をしている道すがら、日本の四季の変化の写真を撮ってよく現像します。花などは季節によって変わるでしょう。同様に店などの装飾や広告看板などもイベントごとに変わります。  毎週の週末には時間を見つけて博物館や公園、郊外の山、お祭り、都心から郊外までよく出かけますが、とても楽しんでおります。今でも覚えているのが、とあるお祭りで 日本の伝統音楽や食べ物を楽しみながら、着物を着たり折り紙をしたりしたことです。 とても素晴らしい思い出となりました。日本はドラえもんやハローキティばかりでなく、伝統文化や芸能を経験することができました。

 お花見や温泉、雪に触れたり、人生で初めての経験をしましたが、その他に時々アルバイトで日本の人達と仕事をする機会に恵まれて日本の就業システムについて知ることができました。市役所などではとても親切にしてもらい、商店街ではとても大事にしてもらいました。

 また、日本は夜歩いても安全であり、交通輸送機関も安全で気持ち良く使うことができます。ハイテク機器もどこでも使うことができ、自動ドア、CCTV、自動トイレも日本に来た時に驚いた記憶があります。駅も綺麗で静かであり治安も良く、日本語だけが難しいですが、毎日の生活はとても興味深く、心地よいものとなっています。

 東南アジア文化友好協会の久米川寮に入ることができて感謝しております。綺麗で家賃も安く、心地よい環境を探していた私にとっては神への祈りの結果であると感じます。 また、久米川寮での他の国の寮生との交流も楽しく、集まって食事をしたりテレビを見たりしております。

 日本での研究が終了した後には、インドネシアのメナドに戻って大学の先生になる予定ですが、日本で得た知識や経験をインドネシアで生かしたいと思います。インドネシアに戻ったら、多分日本のことを思い出して寂しくなると思います。だからこそ、帰国してもまた研究者もしくは旅行者としても再び日本を訪れたいと思っています。 もっと大学で研究に取り組んで将来のために生かしたいと思います。

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第93号 日本での生活

活動報告写真

ショボン・エムディー・タンビール・ハサン (バングラデシュ)
東京工業大学工学部電気・電子工学学科3年

(2012年7月1日 機関紙 アジアの光)より
私はショボンと申します。バングラデシュから来ました。今は、東京工業大学の工学部3年生です。専門は電機・電子工学です。私は2008年の4月に日本に来て、東京の日本語学校で1年間日本語を学びました。そして、愛知県にある豊田工業高等専門学校で、3年間勉強し、今年の4月に東京工業大学編入生として入りました。
 私は初めて日本に来てから、この4年間で日本の文化、歴史や生活についてたくさんのことを学びました。学校からの修学旅行やホームスティに、日本の様々なところに行ったりして日本についての知識を深めることができてよかったと思います。私の国では想像できないことも、いろいろ経験してみるのは面白かったです。たとえば、私の国では寿司や刺身はぜんぜん食べないですが、日本に来てから初めて食べておいしそうと思いました。または、私の国ではみんなと一緒にお風呂に入るのはありえないですが、日本の風呂場でみんなが一緒に入るのを見て驚きました。このような、いろいろなことを体験してみて、2つの国の文化の違いや類似が分かりました。  私は東南アジア文化友好協会のことを先輩に紹介してもらいました。先輩がもともと住んでいた久米川寮での生活や他の国の留学生と交流ができることを聞いて、この寮に入りたいと思いました。そして、今年の4月から私はこの寮に住むようになりました。久米川寮の良い点は、部屋はとても広いし、必要な家具はすべて設置してあります。毎週あるミーティングも良いと思います。このきっかけで、私はラオス、インドネシア、カンボジアなど、様々な国の学生と話したりして、それらの国についてたくさんのことを知りました。または、みんなで外食するのも楽しいです。  私は勉強のため日本に来ました。この勉強にはただ専門の勉強だけでなく、周りの人々の生活のし方、文化、技術、教養など様々なことが含まれてあります。これらのことを学んで自分が成長できるように頑張りたいと思います。

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公益財団法人
 東南アジア文化友好協会

〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台2−1−19 アルベルゴお茶の水1012号

TEL 03(3296)0192